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忍城

忍城

忍城の基本情報

名所忍城
別名:浮き城・亀城
文化財史跡
区分
住所〒361-0052
埼玉県行田市本丸17-23
☎048-556-1111
環境経済部商工観光課観光担当
築城15世紀後半
築主成田氏
入場料大人:200円
高大生:100円
小中生:50円
※団体割引有


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忍城の歴史

2012年に野村萬斎が主役を務めた「のぼうの城」で有名になった関東七名城の一つです。

元々この地は扇谷上杉氏に属する忍一族が治めていましたが、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子が忍一族を滅ぼし、築城したのが忍城の始まりと言われています。

反発した扇谷上杉氏に忍城を攻められるも、太田道灌の仲介により和解、1559年に上杉謙信が関東に遠征してきた際には成田氏は上杉謙信に恭順し1561年の小田原城攻めに参戦しました。

しかし、検診の関東管領就任後に離反し、1574年には忍城が上杉謙信によって包囲され、城下町に火を放たれましたが持ちこたえています。

その後、1590年に豊臣秀吉が行った小田原征伐の際には北条氏側の武将として参戦し、この時の忍城攻めの様子が描かれたのが「のぼうの城」です。

この時、忍城攻めを行った豊臣方の総大将は石田三成、大谷吉継や長束正家、真田昌幸も加わりました。

難攻不落と謳われた忍城に対して、三成は利根川を利用した水攻めを行いました。

三成は埼玉古墳の丸墓山古墳に本陣を置き、28kmにも及ぶ石田堤を建設し、忍城に対して水攻めを行いましたが忍城は落城せず、先に小田原城が落城したことで開城されることになりました。

江戸幕府では家康の4男・松平忠吉が忍城に入城し、その後は忍藩の政庁として使用され、廃藩置県後は忍県の県庁が二の丸におかれました。

廃城となって以降は建物が取り壊されましたが、現在は御三階櫓や塀が復元されています。

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忍城の観光ポイント

御三階櫓は現在隣接する郷土博物館と繋がっており最上階は展望コーナーもあります。

博物館内には市内に点在する古墳の一つ、稲荷山古墳から出土した鉄剣も展示されている他、忍城ゆかりの品が展示されています。

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