太田城
太田城の基本情報
名所 | 太田城 別名:佐竹城・舞鶴城・青龍城 |
文化財史跡 区分 | ー |
住所 | 〒313-0005 茨城県常陸太田市中城町151 ☎0294-72-8071※観光振興課 |
築城 | 1109年 |
築主 | 藤原通延? |
入場料 | ー |
太田城の歴史
関東七名城の一つでもある常陸国太田城は築城年・築城主ともに明らかにはなっていませんが、一説には1109年に下野国からこの地に入り、太田太夫と称していた藤原通延が居を構えたのが始まりだと言われています。その後、後三年の役で功績を残した源昌義が佐竹氏を名乗り二代目の佐竹隆義が、当時太田城の城主であった藤原通延の孫・通盛を服属させ、自らが太田城へと入城しました。
馬坂城から佐竹氏が太田城へと入城する日に城の上を鶴が舞うように飛んでいたことから舞鶴城という別名がついたようです。
佐竹氏入城後は470年間にわたって佐竹氏の居城でしたが、戦国時代最後の19代当主・佐竹義宣が水戸城へと居を移し、太田城へと留まった義宣の父・義重は太田城へと残りましたが、関ヶ原の戦いの際に東軍・西軍どちらにも与しない中立の立場をとったため、東軍勝利後に秋田へと移封されました。
1602年に徳川家康の一国一城令により太田城は廃城となりました。
ちなみに太田城というと日本三大水攻めの一つとして有名ですが、和歌山県にある太田城です。
太田城の観光ポイント
太田城の本丸の跡地は現在太田小学校が建っており、舞鶴城跡を示す石碑が建てられていますが、建物はもちろんのこと、堀を埋めるために土塁なども崩されてしまったため、城の遺構は残っていません。しかし、現在の道路の位置が城郭の堀や土塁の位置とほぼ重なると言われており、正確にというわけにはいきませんがおおよその縄張りを知ることができます。
特に、水戸光圀公が晩年を過ごした西山御殿の近くにある西山公園展望台から、太田小学校の方角を見ると台地に建物があったという太田城の様子をうかがい知ることができます。
また、郷土資料館がある鯨ヶ丘の辺りは、佐竹氏の時代に城下町だった付近で板谷坂や十王坂などがあります。
板谷は番屋がなまったものだと言われており、当時はこのあたりに番屋があったのでしょう。
土蔵や町屋が残っているところもあるそうなので是非散歩してみてください。