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前橋城

前橋城

前橋城の基本情報

名所前橋城
別名:厩橋城
文化財史跡
区分
住所〒371-0026
群馬県前橋市大手町3-14-1
☎027-898-6292※環境政策課
築城15世紀末
築主長野氏
入場料


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前橋城の歴史

関東七名城の一つとしてあげられる輪郭式平城で利根川と広瀬川を外堀として自然の要害を有していました。

前橋城の歴史は古く、室町時代の中期頃、箕輪城の支城として長野氏によって築城された石倉城が始まりとされています。

石倉城の時代には、利根川の本流が城内の水路に流れ込み、本丸などを崩壊させてしまったという話があり、当時の城主であった長野方業は残った三の丸のよりどころに城を再築したということです。

この城は後に厩橋城と呼ばれました。1560年、後の上杉謙信である長尾景虎が厩橋城を攻め取り、以降は関東進出の足掛かりとなるも、1563年には小田原の北条氏と甲斐の武田氏の連合軍により、攻め落とされてしまいました。

1582年に武田氏が織田信長に滅ぼされると武田氏の城代として城に残っていた北条高広は、織田方の滝川一益に城を引き渡しますが、本能寺の変後北条氏直に敗れた滝川は撤退し、厩橋城は小田原の後北条氏のものとなりました。

1590年に豊臣秀吉が小田原征伐を行うと厩橋城は、浅野長政に攻め落とされ、関東に移封となった徳川家康の家臣平岩親吉が厩橋城に入城しました。

関ヶ原の戦い後は、平岩氏に代わって酒井重忠が厩橋城へ入城し、城の大規模な改修を行いました。

この後、厩橋から前橋に地名が改められ、前橋城と呼ばれるようになりました。

酒井氏移封後には越前松平氏が入城しましたが、利根川の浸食を受けた本丸が倒壊の危機にあり、城を修築できる財が無かった松平氏は前橋城を放棄、川越城へと居を移し、前橋いったいは川越藩の分領となりました。
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前橋城の観光ポイント

1863年には当時の川越藩主・松平直克によって前橋城の再築が開始されましたが、1867年直克が入城して前橋藩が再興しましたが、半年後に行われた大政奉還により江戸幕府は終わりを迎えました。

現在、本丸跡地には群馬県長の本庁舎がおかれ、二の丸跡は前橋市役所、三の丸跡地は前橋地方裁判所になっています。

その他の場所はほとんどが市街地として開発されており、当時の面影はありませんが、市内に移築された城門が残る他、松平氏の邸宅が川原町の大興寺内に移築され現存しています。

一部の石垣や土塁、堀も遺構として残っています。

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